なぜと問うのをやめてみる

科学の世界では、「なぜ」という質問は非常に大切な質問です。なぜ空は青いのか?なぜ光は一定の早さなのか?なぜ月は地球の周りをまわっているのか?こういう素朴な「なぜ」をたくさん考えることが、科学の勉強を面白くします。

しかし、心の世界では「なぜ」と質問してみるのが、良い結果をもたらすことはほとんどないように思えます。

「なぜ彼はあんな態度を取るんだろうか?」
「なぜ私ってこんな性格なんだろうか?」
「なぜみんなは私を無視するのだろうか?」

こういう「なぜ」を考えてみたところで、相手の心も自分の心もわかるわけではありません。なにかしら答えを思いつくことがあるかもしれませんが、それは経験の中で培ったものから出した答えであって、それが正解であるということはほとんどありません。また、答えによっては、劣等感が増したり、自己肯定感をさげる恐れもあります。

「なぜ」と問いたくなるのは、自分の納得がいかないことが起きたからなのです。そんなときは、質問を変えてみてはどうでしょうか。

起きてしまったことは起きてしまったこととして、その状態で、どんな行動、どんな思考、どんな言葉が選択肢としてあげられるか、いろいろ考えてみるというのは一つかもしれません。

「彼の態度は許せないのだな。さて、この状態で私はどんな行動がとれるだろうか?」
「私ってこんな性格だけれど、人とうまくやっていくためにどんな言葉で接することができるだろうか?」
「みんなは私を無視しているように感じているけれども、この状態を他にどんな風にとらえることができるだろうか」

こう考えてみると、さまざまな選択肢がうかんできますし、なかにはよさそうなものがでてくるかもしれませんね。

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